【田舎の離島】50代前半の旅館の女将と、疲れた大人が慰めあうようにエッチした件

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田舎の離島で疲れきった大人の男女が慰め合うようにHした熱い夜が忘れらない・・・

 

僕が49歳、妻が45歳の時、突然襲った嫁の事故死…

 
それは、妻が、デパートの駐車場から出るときにおこった「突発性の脳梗塞」。
運転するBMWが、壁に激突して大破して即死だったのです。

 

僕は今でいうIT企業家で、巷ではIT社長とも言われる人種です。

 
25年前に仲間4人で会社を起し、最初は中野坂上の小さなマンションの一室から始めて、新宿、今は六本木の有名な高層ビルに会社はあり、400名の社員がいます。

 

同期の仲間は次々と会社を去り、最近は経理担当の女性の役員が1億円を操作して持ち逃げ、1ヶ月後には掴まりましたが、信頼していたのにとても残念でした。

 
僕の収入はそれでも月に200万円位はあり、貯金もあります。

仕事への嫌気がつのり、役員会に申し出て、次の社長を役員から選び退社を決めました。

 
私と妻の間には子供がいないのです。

3回妊娠したのですが、いずれも早期流産で子供は出来ませんでした。

 

妻の実家は、昔は銀座6丁目の松坂屋の裏でジャズ喫茶店を経営していました。

 
彼女は「聖心女子大」の卒業で、兄や弟と繁華街で喫茶店を経営、僕が知り合った時には新宿で「クラシックの名曲喫茶店」を開いていました。

 
23歳の彼女と知り合い、翌年には結婚、その時の僕は27歳でした。

 
何度も妊娠しながら、流産のあまりに産むことを断念しました。

僕も社長業がうまく軌道に乗り、六本木にまで進出して大成功でした。

 

ところが妻は亡くすし、仕事も段々とやる気を失うような事が発生し、急に退職を申し出ました。

 
僕の生まれは広島市の出身で、大学の付属小、中、高校を出て、18歳から東京の上智大学に入りました。

 
アメリカに経済学のために留学、IT企業の基礎を学び24歳の若さで仲間と設立したのでした。

 
最初はかなり苦戦しましたが、段々と軌道に乗り今では、大成功したIT企業の3番手にはついています。

両親が2年続けて、亡くなって以来の広島でした。

 

 

戚や兄弟もいるのですが、あまり顔を合わせたくなく、市内では無名のセントラルホテルに泊まりました。

でも昔のお好み焼きや、牡蠣の土手鍋などを食べると元気が出てきて、新天地の高級クラブに独りで飲みに入りました。

 
そこにいた30代の女性に、お気に入りの土地を聞くと、倉橋島というところか、鹿島というところは瀬戸内海の自然がそのままで素敵だというのです。

 
もってきたパソコンで、サイトを開き情報を得て、翌日はタクシーを用意してもらい、鹿島に行きましいた。

人口400人の小さな島で、民宿を借りました。

 

1泊8千円ぐらいで、朝夜と2食付です。

 
2週間滞在の予定でした。

夜は近くの飲み屋を訪ねました。

 
女将さんは多分五十路前半でしょう。

でも物凄く色気があり、官能的で崩れた女優の「藤原紀香」風の顔つきでした。

 

唇の横のホクロが色白の顔にピッタリで、赤い唇とマッチして物凄くセクシーに見えました。

 
妻を事故で亡くしてから2ヶ月半、その間は色々とありセックスは興味がありませんでした。

でも49歳ですから、性欲は充分にあります。

 
この店で期待は出来ませんが、どうも実の母親と二人で経営をしているようで、店の常連客は漁業で船乗りのようです。

 
暗い灯りの店で、昔の懐メロのカラオケをがなっていました。

 

客も5,6人で、皆さん漁業の仕事をしているようで、真っ黒に日焼けしています。

 
僕は8時ころに訪ねたのですが「お客さんは何処からおいでなさったの」と居酒屋スナックのママに聞かれます。

 
「東京からきました。仕事に行き詰まり、暫くはお休みしてここで2週間ほど、釣りをしたりスキューバをしようかと考えているんです」と答えます。

 
「お客さんは俳優の佐藤浩市にそっくりの美男子ね」と褒めるので「ママこそ藤原紀香そっくりじゃないの」と冗談を言い合います。

 

はワタシも1年前まで、東京でお店を開いていたのよ」と言います。

「だから垢抜けているんだ」とほめちぎります。

 
「まぁまぁいっぱい」と言いながら、二人で酒を酌み交わします。

常連客が「ママを独り占めは違反だよ」と冷やかされます。

 
ママの母親も「松坂慶子」並みの太めの美魔女です。

 

着物姿が性欲をそそります。

朝が早いのか漁師さんたちは、10時半には引き上げます。

 
お母さんとママと3人で、お酒を酌み交わしました。

3人とも酒豪らしく、顔は赤いのですが酔った様子はありません。

 
カラオケでデユエットをするころは、上機嫌で身体をふら付かせて抱き合いました。

 

香水の匂いの良さにも慣れ、大きな乳房にもふれあい、最高に気分が盛り上がります。

「どこに泊まっているの」

と聞かれ「民宿だよ」と答えると「アソコには泊まれないな、だって声が筒抜けだもの。

家に来る?」と言います。

真夜中の12時には閉店なんです。

 
「お母さんは何処なの」

と聞くと「この店の2階に住んでいるの。私の部屋もあるけど、実は家も持っているの。他の人には内緒だけど。来る?」と言われると、すぐに陰茎に血が上り勃起します。

 

彼女もそれなりに感じているようで、ズボンの上からペニスあたりを擦ります。

 
彼女の家は歩いても10分ぐらいの、築40年ぐらいの古い家でした。

 
でも中身はかなり手を入れてあり、お風呂はジャグジーバスで、寝室はウオーターベッドが入っていました。

トイレもシャー付きです。

 
玄関と裏の入口も厳重にロックをして、カーテンも二重に閉めます。

 

人は着ているものを全て脱ぎ棄て、全裸になりました。

紀香さん似の彼女の乳房はオレンジほどの大きさで、ふっくらと固く締まっていました。

 
このスナックのママが身体を動かすたびに、波打ち弾みます。

豊満な胸を揉みながら、濃厚な口づけをします。

 
いきなり口の中に、彼女の甘い舌が挿入されました。

 

痛々しいほどのクリトリスが、赤剥けて震えています。

 
肉の裂け目も、中華マン見たいにふっくらと肉が裂け、色づいた小さな花ビラが顔を出しています。

 
「はい扉を開いて~」と、僕はクスクスと笑い、両の指先を使ってその秘裂を生々しく押し広げます。

 
鮭肉色の熱く潤んだ花肉を露わにしました。

「匂いがキツイからお風呂に入ろう」と両手を引かれます。

 

バスタブの縁に腰かけて、大きく両脚を八の字に開かせると、女の秘められた部分は一気に解放されました。

 
すでにクリトリスは殻を押しのけて顔を出し、ちょっとした大豆並みの大きさでした。

 
豊かな乳房を吸いながら、段々と下に降り、世界で一つきりの真珠玉を指で動かし、充血してぷっくらと膨らみ、女の総身を悦楽に導きました。

 
和室は紅色の行灯が着き、大きめの布団がふかふかしています。

「さぁ貴方が寝るのよぉ」仰向けの僕の股間の上に跨り、女上位でゆっくりと挿入して座り込んできます。

 

ヌルヌルの彼女の柔肉の奥に、一気に深々と埋もれて行きました。

 
閉経しているから中出しOKなんですって。

「あぁッ、気持ちがいいよ」彼女は顔を上向きに喘ぎ、熱く濡れた肉襞をキュッと締めつけてきました。

 
「もっと突いてぇ~、あん、イキそうだよ、すぐにもイキそうだよ」僕の動きに合わせて股間をぶつけます。

そして上から舌を絡め、自分でクリトリスを弄りながら、激しく狂おしく身悶えしました。

 

0分ぐらいで「イクッ、イク」声を上ずらせて、ガクンガクンと全身を激しく波立たせます。

 
膣内がキュッキュッと艶めかしい収縮を繰り返し、すると僕も大きな絶頂感の渦に巻き込まれて、イってしまいました。

 
大量のザーメンが彼女の内部に走り、勢いよく迸り身悶えしながら、同時にオルガスムスに達したようでした。

 
田舎の離島で、疲れきった大人の男女が慰め合うようにHした熱い夜でした。

 


 
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